かまじいのブログ

INFP-Tの綴る言葉の世界

自然の力

こんなに続く暴風雨は記憶にない。

何年か前、私の住む街もゲリラ豪雨で大きな被害が出た。当時の職場は山の中にあり、道は土砂が流れ込み、通勤途中の橋が決壊した。長い間通行止め。橋は通行可能になったが河川に関しては今も尚、復旧工事が行われている。

そして近年冷房いらずだった田舎にも異変が起きている。とてつもなく暑い夏。我が家はまだ冷房という文明の機器は投入されていないが、割と限界である。

異常気象と言われて何年か経つけれど、人々は何を思っているのだろうか?

温暖化が叫ばれる中、何か変わっただろうか?

例えばエコバッグ。コロナをきっかけにお惣菜コーナーは全て個包装されるようになった。買物袋は減って、個包装は増えたというイタチごっこに疑問視。そして袋が欲しければお金を出せば購入できる。

何も考えない、考えさせない教育の結論と言っても過言ではないだろう。根本的な意図を理解していないと何も変わらない。

何日か前、河川敷でバーベキューをした後、川で洗剤を使って洗い物をしている方がいるという記事を見かけた。同じ頃、炭を消火しないまま放置して帰ったという記事も。

真の想像力というものはこの様な場合で発揮する。1+1=2 そういうものだから。自分で考えて行動する。とはかけ離れている。おかしいと分かっていても、そういうものだから仕方ない。これって洗脳じゃん。と私は思う。ここまでくると困っていることにすら気づかないのではないかと思う。

お金がないと生きていけない。これも洗脳だと思う。

生物の生存=栄養 だとすれば食物。購入するのが当たり前になっている。食料自給率が低いのであれば、発想の転換で自分で作れるものは自分で作ってみる。国民全世帯がプランター栽培を年間ひとつでもやってみたらどうだろうか?ちなみに我が家では夏野菜はほとんど畑とご近所さんからの頂き物で賄っています。

 

地球はどこまでも訴えてくるだろう。

大雨、暴風、猛暑、大雪、何故そうなるのか?想像してほしい。人間は自分たちの事しか考えていない。わたしたちの住んでいる地球。そこに所有権が発生し、自然を開拓してきた。動物や植物が先住人にもかかわらず、追いやって利益の為に動いている。人間は愚かな生き物だから犠牲者がたくさん出ないと気づかない。多様性とか言ってるけど、自然と共存できないのなら、多様性ではなく自分勝手な奴が増えるだけだろう。

ある意味自然って平等だと思う。自然災害は人を選ばない。言い方はものすごく悪いかもしれないけれど、行くところまでいかないと気づけないのではないかと思う。気づこうとしないのかもしれないけれど…。

 

 

 

 

香りとトラウマ

ここ最近、精神的にやられていた。

そんな時、ちょっとだけホッとするリソースを見つけた。

くちなしの花。我が家には3種類のくちなしがある。気がついたのは3年くらい前だけど、、、梅雨の時期から咲き始め風にのってイイ匂いを届けてくれる。アロマオイルもいいけれど、やっぱり自然のイキモノには勝てない。その時にしか味わえないやさしい香りが、わたしの心を落ち着かせてくれる。くちなしの花の寿命は短いけれど、部屋の中に飾ってみる。甘く、強すぎない香り。

そういえば先日、ミカンの花が好きな事を知った友人が瓶に花を詰めて送ってくれた。それはもう幸せな香り。少しでも匂いをとっておきたくて数えるくらいの花を残してチンキにしてしまった。

こんなことを綴っていると、自分の傾向に気づくときがある。

ジャスミンも好き。私はフローラル系の匂いを好むこともわかった。

一方で苦手な香りがある。バニラ系の甘い香り。面白いのが以前煙草を吸っていた時期がある。人のすった煙の臭い、唯一好きになれなかったのがセブンスター。ぬわんと、バニラが潜んでいた。香りって面白い。

 

御香の匂いを店員さんと一緒に選んでいる時だった。私はネロリが手元にあるのだが、選んだのは蜜柑。面白いですね、と言われ、無意識のうちに自分の好きなモノって身体に組み込まれているんだなって思う。言われるまで何のこっちゃ?と思っていたけれど花と実。同じ系統のものを選ぶとは…。

ただ、オレンジのアロマオイルは得意ではない。万人受けするらしいが、甘すぎる匂いがキツイ。食べる分には問題ないが、濃縮したものはやはり香りも成分も強い。頭痛や吐き気となって身体が雄叫びをあげる。マッサージも同じく。凍り付いた身体は優しく触れるくらいがちょうどいい。揉んだりした日にはフラッシュバックとなって”わたし”に畳みかけてくるだろう。

トラウマは自分で気がつかないうちに治っているくらいがちょうどイイというが、本当にその通りだと思う。ゆっくり過ぎるくらいが丁度いい。今になってようやくその意味がわかってきた。焦って焦ってそれが再トラウマとなったり、トリガーになったりする。目に見えないコトに対して【待つ】ことは本当にツラい。だけどそこにじっと居続けること=マインドフルネスだから、トラウマ回復のいちばんの特効薬かもしれない。

今ここにいない事がトラウマの特徴でもあるように、居続けることができたらもう少し楽に生きられるんだろうな。でもなるべくしてそうなったから、生きていくためにそうしたのだから、なかなか排除するのは難しい事だと思う。

4人で生きてきたのにいきなり1人にまとめると言っても、そりゃ~わたしだってどうしていいのかわからない。うまく共存してしまっているので排除なんてした日には、再トラウマじゃ~。

 

そろそろわたしのココロに素敵な香りを届けてくれる季節も終わりです。

次のお楽しみは金木犀

眼には見えないけれど、世界は少しづつ変わっているはず…。

 

 

矛盾した世界

世の中は矛盾している。

 

そして私は矛盾した世界を生きている。

そして私は困惑している。

 

我が家の娘は片付けが出来ない。

冷蔵庫の中に何故か空のパックジュースがいくつもある。

何も言わなかったらどうなるのだろう。

 

友人に聞いてみたら、捨てるよ~って捨てればいいじゃん。と

一瞬、そうか、私の優しさが足りない。と思ったが、そういえば規格外な人だったことを思い出した。

出来るまで待つ、とか言うが、そもそも捨てる気がない。彼女は困らない。

小学生の頃、精神科に通院して育療をするか先生が迷った時、困ってないから大丈夫。と言われた。そして今、困っているから通院しているはずだが…。

通院したいのは間違いなく、この私である。

 

好きなように生きればいい。なんて言うけれど全人類が好きなように生きたら地球は滅びるだろう。好きなように生きれなくて困っているのに、どうしたことか?

娘を自由にさせてあげたいと思う反面、自由にしたら大変なことになる。とも思う。人間はある程度のストレスがないと、バランスが崩れてしまうとか。身体は弛緩状態だと動かない。

 

世の中も男女平等とか人種差別とか言ってるけれど、貧富の差がある時点でアウト。

そもそも富裕層の中だけでお金は循環している。紙切れに奔走させられている人間。そもそもわたしたちの住んでいる地球は誰のモノじゃ~❕しかも場所によって価格が違うとか、意味がわからん。そして日本ではその土地に税金を払う。間違いないのは税金が地球の為には使われていないコト。どうして世界はこうなったのか?

 

ここ何日か、好きなものを食べている。そうしていたら口内炎が…。

まさにこれも矛盾である。そして私のココロは満たされない。

おいしい食事も、便利な生活も、その時は良くても長くは続かず、必ず飽きてしまう。

どんなふうに生きていけばいいのか全く分からない。完全にドツボにはまってしまった。藻搔きも出来ず、どうすることも出来ない。はまったまま当分苦しむことにする。

これが受け入れるというひとつの生き方かもしれない。楽しそうに生きている人をみると羨ましいと思うが、何となく違和感を感じる。ついつい自分にないものを求めてしまうクセ。楽しいのはその時だけで、ひとりになると何か違うと…私の中の何かは満たされない。

 

自分自身の崩壊

最近、精神状態があまり良くない。

フラッシュバックの嵐で崩壊している。

気持ちが行ったり来たり、動悸がしたり、ココロもカラダも疲弊している。

よく思うのが、どのタイミングで人に頼ったら良いのかが全くわからない。全然そんな風には見えないとか…。今日もむしろ棘がなくなってイイ感じとか言われたけど、世の中から消えたい。どうしていいのかがわからないし、もちろん目的なんてナイ。

 

きっと私には見えない部分の基盤がない。見た目は普通なのに…。だからリフォームをしようとすると複雑さが増す。壊れないが、リフォームは難しい。そして古くなった柱の補強をしたつもりだったが気がつけば建物は崩壊していた。原因は調査中である。→生きている意味がわからなくなったのでもう一度考え直し。

 

わたしたちのようにトラウマを抱えた人が人生の大きな壁にぶち当たった時、一般の人よりも乗り越える強さがあるという。いろいろな状況に追い込まれ、藻搔きながら生き抜いたという目には見えない経験が人生を豊かにしてくれるのだろう。とはいえ、渦中にいると浮上すらできないのでこれはただ、待つしかない。藻搔けば藻搔くほど苦しいからね。

 

友達は片手で数えるくらいしかいないが、人生でかなり落ち込んでいる時にいつもいてくれる奴がいる。不思議な関係だと思う。頻繁に連絡はしないけれど、適度な距離で適度な関係。私はきっと何もしてあげられないけれど、とても感謝しています。ありがとう。

 

とりあえずどうにもこうにもならないので、しろくまを買ってきて食べようと思います。きのうも食べたけどね。かき氷とかアイス、苦手なんだけど…。小さな小さな癒しだと思って(´・ω・`)

自殺をする、しない

精神科の先生から聞いたこと。自殺をするか、しないか。

しなかった子は話を出来る人がいたとのコト。先生に言われた。必ず話しかけてと。

 

久しぶりに消えたい衝動に駆られた。何もかも嫌になる。

わたしは自殺をしなかった。話を出来る人いたかな?、、、

そういえば心配してくれる人はいたな。

でも実際のところ、連絡しても限界の時は結局都合がつかない場合が多い。ツラい時に限ってひとり。でも今は3人いる。結構限界かも、と思い誰かに連絡しようとすると、「連絡したってどうせまた同じことの繰り返しだからやめろ」と言われる。確かにそうだ。4人いるから大丈夫。こういう事か?そういえば最近、脳内会議は2人が多い。わたしと4人目。言われてみれば確かに誰かに話すよりも的確なコトを言ったりする。

自分にしかわからないコト。それが4人目にはわかる。そう考えると私は幸せなのかもしれない。

 

自殺をしたい人の気持ちは三者三葉だと思うが、自殺なんて…と思う人には到底わからないだろう。楽しく生きれるなら悩まなくても済む。追い詰められたから生きる気力もないし、どうにもこうにもならないから困っているのであって。。。

困っているから相談しているのに、何でそんなことで悩んでいるの?なんて言われたら話はそこで終わってしまう。話せる人がいるのと、話を聞いてくれる人がいる、でも変わってくるだろうな。

 

人間って実際にその立場にならないとわからない。まぁ、人によって感じ方も様々だから何とも言えないが、、、。実際に経験するコトって大切。だからこそ経験した人の言葉って妙に説得力がある。真実ってそこだろうな。

 

解ってもらえないならいっそのことはっきり助けてって言うしかない。

だってみんなわからないんだもん。

すべてを失くして、事態を受け入れた時、人は本当に自由になれるのかもしれない。

弱くいれる強さ。本当の強さって、こういうコトなのかもしれない。

 

この世に生を受けたなら必ず死の権利ももれなくついてくる。

細胞もアポトーシスを繰り返し、死に向かって生きている。

だから産まれた時から着実に死に向かっている。

何もしなくても生きていればいつか死は向こうからやってくる。

 

死にたいと思えたあなたは本当は誰よりも強い人なのかもしれません。

 

 

 

 

 

夏至~夏越の大祓

夏越の大祓に行ってきた。

数年前、信号待ちをしていたら神社の境内に大きな丸い物体があって何なのか調べたところからこの行事を知った。

ちょうど一年の半分、先日夏至を迎え、ココから陽から陰への切り替わりになる。そりゃ~エネルギー強いっす。いろいろあります。勝手な私の解釈ですが…。

 

自分を見直す良ききっかけかもしれない。

 

さっき、いろいろ考えた末、師匠に連絡をした。

文字にしていくと、やっぱりやめようと思う時がある。

言語化することで気持ちの整理がついてしまい、連絡するほどではない。と思うから。

何でかわからないが、師匠とのやり取りは自分のクセに気づかされることがしばしばある。今回も然り。

だけど、自分だけで歩くのや~めた。

自分の力で歩けるように寄り添ってもらう。セラピストの勉強も大切だけど、クライエントの経験も大切。だったら今はクライエントになろう。

誰の為でもなく、自分が癒されるためにセラピストになろうと思った。

だったらクライエントに徹するべし。

そうすることが癒される過程の勉強にもなる。

 

いろいろ学ばなきゃと思う。

だけど結局は自分が癒されることがいちばんの学びなんだろうな。

今まで生き延びてきた私は癒される価値がある。

満たされない何かを探し続けて…。

カウンセリング

娘の学校へスクールカウンセラーに会いに行ってきた。

フラッシュバックの最中、いっぱいいっぱいで娘と久しぶりにやりあった。

余力なしに加え、偏頭痛もあってキャンセルしたい気分だった。

 

やる気なしで行ったのだが、これが割とまともな方で、普通に話ができた。

今まで会ってきた方は本当にカウンセラーですか?と尋ねたくなるような人だった。

本年度の方は、イイ意味で私を裏切ってくれた。この人なら光が見えてくるかもしれない…。

娘のいろいろな事件を話していくと、立ち向かっていく強さを感じます。と言われた。思いもしなかった一言。よーく考えてみるとなるほど…。と嫌なことがあって引きこもるのではなく、外に向かっていく。人と繋がりたいという気持ちが強いと思う。わたしには無い発想だった。確かにフツウは何か嫌な体験をすると人と関わることを避けるけれど、どんな手段でも自分の存在を他者に見せつけていると。久しぶりに人の言葉で考えさせられた。重みのあるひとこと。

確か 花丘ちぐささんだったと思うが、普通の人は100点を目指しているが、トラウマを抱えている人は▲100点から0点を目指している。プラスになれば人よりも努力をしている。という。それと同時に目指しているものが根本的に違うので、見ているものが違いすぎる。カウンセラーの方は、この言葉をメモしていた。ついでにポリヴェーガル理論も是非読んで下さい。と勧めてしまった。もちろんメモしてくれた(笑)

 

”弱くいれる強さ”という言葉をセラピストの講習の時に聞いた。真の強さってただ押し進むことではなく、マイナスからしか産まれないのかもしれない。痛みとか、苦しみも一般的にはマイナス、良くないものとして見られがちだけど、実はそうではなさそう。考えたり、実体験がないと意味不明だろうな。人間もそうだけど、文明や宇宙だって同じことなんだろう。

ここまで来るのに4年かかった。考え続けるクセがある。良くそんなこと考えてどうするの?とか言われてたけれど、まさかこんな形で役に立つとは思わなかった。哲学は流行りとか軽いノリで出来ることではないと言われたことがある。源、物事の真理は測り知れない。まだまだ深く考える余地はあると思う。

まさかカウンセラーの方の一言がきっかけでなぞなぞが解けるとは思ってもいなかった。トラウマの勉強もそうだけど、言葉を追っていく作業もまだまだ続きそう。人生の宿題はまだまだ終わらない。新しい発見ができた時のこの爽快感。誰にも解ってもらえないけれど、自分の楽しみでもあり、重みのある言葉になるんじゃないかな~って勝手に思っています。