かまじいのブログ

INFP-Tの綴る言葉の世界

苦悩の果て

苦しさ。何とも言えない苦しさ。そんなものと同居している。本来同居する必要はないのかもしれない。ついつい苦しさに向かい合い、自問自答しては自分を苦しめる。というより勝手に苦しんでいるんだろうな。悲劇のヒロインみたいに言われるけど、動けない苦しみというのは経験した人でないと分かり得ないこと。

だけどそんな苦しみももういい。疲れたし、解ってもらえるものでもない。

だとしたら自分自身で腑に落とすしかない。そしてそれを世の中で役に立たせる。同じような渦中の人達にうっすらと希望みたいなものが湧けばそれでいい。わたしは知る由もない。孤独だ。そもそも癒しというものはそういうもの。上辺だけのキレイごとは深い癒しではない。自分との対話。ツラくても、苦しくても、死にたくなっても、どんな自分でも受け入れる。とことん味わい尽くした末にしか見えてこないもの。自分と向き合うコトって誰にでもできる訳じゃない。現代では生産性のないコトかもしれない。だけど向き合った分だけ自分の存在価値というものが確実に見えてくる気がする。否定することでしか自分という存在を肯定できなかった。だけどそれ自体自己肯定ですらある。自己否定の先に見えてくるもの。それで自分の輪郭が見えてくるのならそれはとても意味のあるコト。そろそろ幻想から目を覚ます時。本来の自分。あるべき姿。自分の在り方を構築していく。

ついつい自暴自棄になり、自分を見失う。訳のわからない出来事に遭遇する。そんな中でも自分を見つけ出し、渦中にいることを認識する。そうしないとそこからは永遠に出ることはできない。抜け出したいのであれば自分と交渉し、再交渉する。違う自分、違う認識、違う世界で生きるという決意。何事も自分次第である。自分がどうしたいか?パソコンなら初期化すればいいコト。だけど人間はそうはいかない。思考というものだったり、知性というものが邪魔をする。

苦悩というものと随分と長い間付き合ってきたが、やっと自分の中で道筋が見えてきたような気がする。自分が自分で在るコト。それが生きるというコト。苦しみの中から見えてきたもの。自分というものと向き合うことで、誰かが生きるというコトに対して疑問を抱いていたら、それは新しい自分へとつながること。苦しくても必ず道は開ける。こんな時代だからこそ真理や本質と言われるものに向き合って自分らしく生きる。わたしの通ってきた道は、誰かも通ってきた道であり、これから誰かが通る道でもある。決して一人ではない。孤独かもしれない。同じ境遇の人が近くにいる訳でもないかもしれない。だけど世の中には、同じような人がいる。そんな見えない現実が生きる支えになるかもしれない。