かまじいのブログ

INFP-Tの綴る言葉の世界

答えがないもの

最近好きになったクラシック音楽

カラダの使い方という事でピアノの弾き方、いろんな人の演奏を見ていてはまってしまった。同じ譜面んを見て演奏しているのに表現方法が全然違う。何人か好きな感じはいるけれど全てを引き込まれていったのはカティア・ブニアティシヴィリガーシュウィンのラプソティーインブルーの演奏で魅了された。何か奥深さを感じる。そして只ならぬ存在感。何かを乗り越えた人にしかない何か。だからこそのブレない何か不確かなモノ。そんな何かに無意識に惹かれていく。

 

いろいろな表現方法があるけれど、そこにはその人が本来持っているものが映し出されるし、垣間見れる。その人でないと表現できないもの。

それぞれ違うけれどそれがきちんと構築されている人は美しい。それは音楽でも、普段の生活でも同じだななんて思ったりする。構築というよりもあるがままの自分を受容した上で生きている人。それがブレている人は何となく違和感を感じたりする。そしてありのままの自分を生きている時、全ては自分に味方すると思う。自分しか信じるものがなくなった時とでもいうか、何も頼るものがなくなった時、唯一無二になれるとでも言おうか。みんながそんな状態だったら世界平和に繋がるのではと思った。

 

施術において自分にしかできない世界観をつくっている。今までは劣っていると思っていたが、そうではないこともある。みんなが感じれないことをわたしは感じている。だからそれを生かしていこうと思った。みんなには見えていないもの。結局それがわたしの背負っているものだったりする。ボディ・マインド・スピリット 全体的なバランスが必要だとしていちばん好きなのはボディかもしれない。この世界で肉体なしでは存在できない。細胞分裂の結果、筋骨格系、体内を流れるもの、内臓、わたしという鋳型が形成される不思議。造形物として、自然の産物として美しいと思う。ボディからマインドへつながる道は脳であり、ボディの一部だと。東洋の世界では心身一如。西洋では心身二元論。わたしはどちらかというと二元論派だけど、心身一如へ向かうことでボディ・マインド・スピリット的なホリスティックと言われるものへ向かっていく道となると思う。二元論派の理由は、何と言っても乖離してしまったからわたしというパーソナリティーが単独ではない。わたしは何人かの人で構成されている。決して一人ではないので心と身体は繋がっているというよりも繋がるようにする。という感覚になってしまう。

 

結局のところ、答えがないものが好き。そしてそのことについて考えるのが楽しいのだと思う。誰にも邪魔されずに自分の世界観を作り上げていく。誰にも理解されないかもしれない孤独な世界。哲学も一緒だと思う。曖昧なモノを統合しようとすること。一筋縄にはいかないし、万人に解ってもらえる世界ではない。だけど考えるコトが板についてしまっているわたしは考えていない。といっても無意識で自然にやってしまっていると思う。だからこそ自分の考え抜いた世界観をわかる人だけに伝えていこうと思う今日この頃。