かまじいのブログ

INFP-Tの綴る言葉の世界

シャドーに光を

吐き気がするのに吐けない苦しさ。

最終手段で指を入れても吐けなかった。

 

がしかし、これがトリガーとなって更に私を苦しめた。

過食嘔吐の事を思い出した。

吐き気もするし、気持ち悪いし、胃も痛い。だけど食べたい。とにかく食べたい。何もかも忘れて食べたい…。衝動が抑えられず、食べたというよりも飲み込んだ。やっと吐けた。

 

高校生の時、軽い摂食障害になった。

大人になってからも何かある度に過食になって胃を壊すというサイクルを繰り返していた。わたしの中の ”満たされない何か”。

 

ネットで検索すると摂食障害の場合、痩せたい、、、とかがほとんどだが、私の場合、自傷行為としての行動だった。結局は自分を守るための行為。またの名を叡智と呼ぶ。

どうしていいのかわからない心の叫びであり、自分を傷つけることで自分を守ってきた。飲むように食べることで自分の中で消化しようとしていた。だけど消化できていないから、こうして苦しみながら私の体の中をさまよっていた。今か今かとタイミングを見計らって出てきた。

自傷行為とは自分を守るための行為であるとわたしは思う。恐らくトラウマと関りがある。目には見えない何かと闘っているから苦しい。自分ですらわからない何か?生き延びるための行為だったという事に間違いない。

 

何をどうしても吐き出せない時、もういいよって声がした。吐きたくても出てこない。もう吐けるモノはない。

自分と向き合う。どうしていいのかわからなくてめちゃくちゃ苦しい。何もかも投げ出して逃げ出したくなる。だけど逃げ道がない。そんな時は自分を追い込む。私が悪い。自分の存在自体嫌になる。凍り付くこと、自分を責めるコト、即ち自傷行為。全ては生き残りをかけた戦いだった。死を選ぶこともできたかもしれない。だけど私は生きることを選んだ。DNAに刻まれた私の魂はサバイバル状態で生き残る術を知っている。生きろ!どんな意味があるのかはわからないけれど、生きるしかない。

こうして過去が出てくると、ビックリする。感情が出てくるという概念はあったけれど、行動まで出てくるなんて思ってもいなかった。だけどもう向かい合っていくしかない。必要に応じて出てくる。乗り越えられないことはない。そしてこの出てきた過去に意味はない。ただ出てきているだけ。意味付けはしなくていい。ただ淡々と自分の中を通り過ぎていくのを待つだけ。ちゃんとあの時の事は今のわたしに届いてるよ。って反応してあげる。ツラい状況は永遠には続かない。見えないけれど少しづつ螺旋階段を上がるように動いている。信じて待つ。決して藻搔いてはいけない。抗ってはいけない。自然の摂理だから。本物の癒しって正直キツイと思う。認識しなくて良いモノを見ないといけないからキレイごとでは済まない。だけどその先にはきっと自己成長というものがあり、まだ知らない自分との出会いがあるかもしれない。自分の中に長年眠っていたものは発酵したり、腐っていたりする。だからそれなりに出てくる時は生々しかったりする。そんな自分の過去と向き合えるのは伴走してくれる人がいるからこそであり、それに甘えられる自分でもあり、強い自分でもあると思います。自己肯定感の低さゆえに学ぶことは多い今日この頃。

自分の中のシャドーに光をあてるという事。自己成長には欠かせないことだと思います。