かまじいのブログ

INFP-Tの綴る言葉の世界

フラッシュバック

娘の精神科通いと共に私の課題が出てきた。

先生と話をしたことがトリガーとなってフラッシュバックたるものがおきはじめた。

積読コレクションがこの時を待っていたかのように役に立つ。がしかし、これもまたフラッシュバックの要因のひとつでもあることを私はよーく知っている。

と同時に自分は複雑性トラウマなのかもしれないという事を知ることになる。一本の柱をとると崩れる私の家。他の家よりたくさん柱はあるのにどれをとっても崩れるという、なんとも芸術的な造り。身体が緊張状態にあって、息がしずらく、恐怖感が…。呼吸法を教わったので実践すると、それどころではない。息が上手く出来なくて、過呼吸になった。息を止めると今度は喉に大きな物がツカエテいるようで苦しい。そして幼少期に飴をなめていて喉に詰まらせ死にそうな思いをした時のことを思い出した。その後も怒涛のフラッシュバック祭り、、、久しぶりに死にたいと思った。

私の事をよく知っている脳内の方たちは元気だ。人に相談したって助けてなんてくれねーよ。と確かにそうだが、肉体はかなりきつそうだ。肩で呼吸したり、過呼吸になったり。なんだ分離しているのがわかる、というか恐怖でもある。身体と感情は別モノ。

肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体。言ってることよーくわかるヨ。いつでも俯瞰状態だけど、さらに磨きがかかっている状態。

そして困ったことに、どうしたらいいのかがわからない。積読コレクションはたくさんあるがこんな時に速読やら、ちゃんと本が読めるかっつーの。という事はおさらい用という事になる。私のトラウマ積読コレクション、実はかなりの数だった。5冊ほどあるが、これをきっかけに今年中に読破しようと思います。自分の中で何が起こっているのか?そしてどの様に対処していけばよいのか?自分が身をもって経験していくしかない。きっと苦しんでる人、たくさんいると思う。人にはなかなか理解されないのが心の病。目では確認できないから。そして死と隣り合わせという感じは全くないので微妙な感じ。本人、生きるか死ぬかの体験を繰り返した結果なんですけどね。シャットダウンってね~だよ。

以前、旦那さんからDVを受けているという人がいて…。という話を聞いたことがある。その時に話をしてくれた方に心の中で拳を上げていた。なんでそういう人だってわからなかったのか?フツーに生きてきた人には到底わからないであろう。そんなことを言いながら彼女を守るために動いていたのだから人間って何を考えているのかわからない。そんな彼女は、平然な顔をしながら身体に刻まれたトラウマと戦っているのかと思うと胸が熱くなる。

トラウマは人類の負の遺産である。と。人間が進化した副産物。一般的にはテストで満点を目標にするが、わたしたちはゼロが目標。そりゃ~話が通じないわ。生きずらい人、たくさんいると思う。

 ♪"Revolution"ノートに書き留めた言葉 明日をさえぎる壁 乗り越えてゆくこと~

なぜか頭の中でTM NETWORKのSEVEN DAYS WARが流れる。

自分が経験したことってどんな事より説得力はあると思う。だからこそ同じように苦しんでいる人がいたら『今まで頑張って生きてきたねっ』て。声を掛けられるよう自らのトラウマと闘いながら精進したいと思います。

 

 

マニアック

FENCE OF DEFENCEにはまってしまった。

時代を皮肉った歌詞は当時からすれば最先端すぎると思う。今でさえやっとな感じ。マニアックすぎる技術と感性は一般人には理解しがたいもの。それでも自分たちのやりたいことを表現し続けているのは本当に素晴らしいコトだと思う。人としての強さや、弱さを兼ね備えているからこそ挑戦できるんじゃないかな?

PRIMITIVE ESSENCEのインタビューで今も昔も今も愛がテーマなんて言ってたけれど、本当素晴らしいと思う。争いは何故起こるのか?こういった些細な疑問が作品の中に組み込まれていると、芸術になる。伝えたいコトがある。受け取る人によってまた違う色になるのもまた芸術なのかもしれない。製作者から言えばそうじゃないってなるのかもしれないけれど…。

なので時に投げかけられても受け取る方が解釈を勘違いすると、それはもう別物になってしまう。

どんなことでも本質を捉えるコトは重要だと思う。言葉の表面だけではなく表現している人の真相だったり奥深い考えだったり、、、。100%は伝わらないかもしれないけれど、深く考えることによって見えないものが見えてくる気がする。

 

当たり前のコトを”なぜ”?って考えられるようにならないと人類は変わってはいかない。気づかなければ、予期せぬ方向へ進んでいく。そうしないと私たち人間は気づかないから。

 

シンギュラリティ…。AIが知能を持つようになって最悪の状態になっても『人間は悪くないよ。』って言うんじゃないか?と言っている人がいた。AIに感情は持てなくても、理性は制御されている分人間よりもはるかに確かな判断力があるのかもしれない。人間も機械もある意味同じプログラミングだけれど、時に機械の方が感情という厄介なものがない分精度は高いかもしれない。AIを作ったのは人間だけどもしかしたら私たち人類はもっとAIに学ばなければいけない様になるかもしれないな~。

 

今後のFENCE OF DEFENCEの活動を楽しみにしています。時を経てまた巡り合えた事に感謝です。そして”本質とは何か?”を常に問い続ける人でありたいと思います。

 

 

乖離と”わたしたち”

最近精神疾患について考えざるを得なくなった。

 

娘が精神科にお世話になっているので今、どういう状況下かを報告する為私自身も調べる機会が増えた。先生と話すことで自分の持っている知識が結びつくのでとても勉強になる。例えば乖離と多重人格は違うものかと思っていたが、根本的なものは一緒だという事。ストレスから逃れた結果の症状であることは変わらない。子育てをしていて自分が子供にストレスを与えていることは解っていたけれど、まさか乖離に繋がるとは思ってもいなかった。ただ、私もまた家庭環境で同じようなことが起きていたことに間違いはない。自分にも責任はあるが私だけの責任ではない。実際にカウンセリングを受けているのは娘だが、私が受けた方が良いのではと思う事がしばしばある。私の心も癒えてはいない。どうしていいのかわからない衝動に駆られる。

最近娘の対応をすることで自分自身の癒しになるのかも…。と思うようになったら少し気が楽になったのと、そう思うことでしか腑に落とせなかった。

そしていろいろ調べていくと、私自身も一般人とは違う事が良く分かってきた。脳内会議は当たり前だと思っていたらそうではないらしい。そして常に4人いるわけではないが、自分が自身の人生を生きているという感覚はあまりない。思えば確かにハートで感じる。とか言われてもしっくりこない。そういった意味では私が娘の親で良かったのかもしれない。フツウの人よりは理解しやすいだろう。口が達者すぎるのでトコトン状況説明をし、耳を塞ぐ娘に「シャットダウンしてんじゃね~よ!!」とよく怒鳴りつけた。

わたしが精神科に通いたいと良く思った。そして娘の取扱説明書が欲しかった。

典型的な育てにくい子である。

 

人格を統合すると生きやすくなるとあったりするが、本当だろうか?

”わたしたち”にとって複数人いるのが当たり前だったのにそれを一人にするのはむしろ恐怖である。状況分析ができたり、いろんな意見を聞くことができる。人格が増えることも恐怖だが、なかったことにするのはもっと恐怖では?一方で共存できていれば問題はないという一文を見つけた。とてもホッとした。4人全員意見が一致することは滅多にないが、この時は一緒だった。

 

ヴィッパーサナ瞑想という瞑想法がある。自分を俯瞰して観る。というもの。これって乖離と同じではなかろうか?そう思った。わたしたち は生き残るために違う人に痛みを受け渡した。瞑想は意図的に状況をつくりだす。一般人は瞑想後、脳内がクリアになるという。わたしたち は意図的でなく自然に行われている。残念なのは常に俯瞰なので、脳内は一向にクリアにはならない。

 

何となく思うのは、もう普通の生き方はできないような。この時点で脳内の仕組みが違うので、一般的なワークをやっても大多数の人達と同じ反応は出ない。師匠に”4人いるから大丈夫”と言われたことがある。受け入れて生きていくしかない。

最近、一生懸命何かをやろうとすることをやめた。何かやりたい。と思うのだがやりたいコトはなかなかみつからず、、、。セラピストという生き方は自分には難しいと思い始めた。一般の人とは感じ方が違うので、共感が難しい。ならば自分と同じような人を助けるコトができたなら、ちょっとは役に立つのではなかろうか?私自身同じ感覚を持つ人もおらず、苦しい思いをした。そして娘も同じようにわかってくれる人がいない苦悩している。

生き残るために乖離が起きたんだけど、私もセラピストの勉強をしなかったらそんなことわからないまま苦しんで生きていたんだろうな~。自分がどういう状況かが解ればだいぶ楽になると思う。これからもう少し深く学んで、今後の人類の発展に寄与できればと思う今日この頃。二十歳の頃、自分の状況を知ろうと心理学を学んで、おかしくなったことがある。出来なかったことをもう一度できるチャンスが今。やりたくないことかもしれないけれど、自分自身の癒し。→社会貢献。20年前はポリヴェーガル理論なんて知らなかったし、まだ研究段階だったんじゃないかな?自分自身の経験と理論が一致する事は皆が皆出来るわけではない。”わたしたち”だからこそ出来ること。そして”わたしたち”が伝えることによって鮮明になっていくんじゃないかな?

思っていたよりも フツウじゃない事がわかったら道が少し開けてきた。

死に向かってゆっくり歩き出そう!

 

 

コンパッション

2年前からガンの患者会に参加している。きっかけは叔母が膵臓がんに罹患したのをきっかけに、オンコロジータッチというものを勉強した。残念ながら叔母は他界してしまった。せっかくなので役に立たせたいと思い、ネットで調べて参加している。

 

始めて参加した時自己紹介をした。すると数か月後に開催するサロンで、講師として話をしてほしいと持ち掛けられた。ありがたい話である。しかし無償ボランティア。かろうじて昼食だけは出るとの事。複雑な気持ちだった。オンコロジータッチ、ヨガのT/T、セラピスト講習代は結構な値段がする。私の周りは逆に講習費をもらっている人ばかりだ。

サロンも、交通費や駐車場代がかかる。始めのうちは行きたくないと思いながら参加していた。無理矢理参加していたのには理由がある。奉仕というキーワードが私の中にあった。もう一つ、ロバートフルフォードの ”いのちの輝き” の中に、人生の1/10を創造主に返しなさいという言葉が出てくる。タイジングといって寄付や奉仕をすることで自分に返ってくるということ。

やりたくないけど、やらないといけない気がして無理矢理参加していた。

寄付でも良かったが、収入の少ない私はケチった。その代わりに私が出来ること、それがサロンへの参加だった。

 

中学生の頃、高校進学の内申書の為にボランティア活動というものをやっていた。私は内申書のためのボランティアなんて意味がないと思い参加しなかった。

親友が福祉系の短大に進学予定だった。実際の現場の見学も兼ねてボランティア活動に参加していた。そこで内申書目的の人達は邪魔だと言っていたのを思い出す。結局うわべだけの参加なので本気で向きあっている人からすればお荷物でしかない。

三者からするとお前も同じじゃんか!とお叱りを受けそうだ…。

 

そして続けてきて思う事。主催者の方は本当に素晴らしいと思う。完全ボランティアなのに患者さんの為に一生懸命やっている。こういう方は利益ではなく、何を目指しているのだろうか?寄付というものはお金があればできるけれどボランティアは…。

きっと、何も望んでなんかいないんだと思う。無償の愛、コンパッションとはこの事だと思った。ただ何もせずに寄り添う事。以前師匠に言われた。寄り添いは相手の為にもなるけれど、何より自分の為になる。と今やっとその意味がわかってきた。続けなければわからない事が沢山ある。やってみなければわからない事もある。

嫌ならやらなければいいかもしれない。楽しい事、好きなコトをやればいい。風の時代は軽く…。なんて言うけれど私はそうは思わない。本質がわからなければ勘違いのまま時代は進んでいく。その結果、文明は発達したが人は大切なものを忘れてしまった。自分だけがいい。とか…。結局考えさせないように洗脳されてきたのだと思う。

 

他人の為に見返りを求めず、行動するコト。これを実行していけば、生きるのが楽になるような気がする。

何かしてほしいとか、してもらいたいとか、、、そんなことはどうでもいい。

ただ、何も考えずに行動するコト。

出来る限りサロンへの参加は続けていこうと思う。

なるほど!

思いがけない発見があった。

精神疾患について調べていたら、複雑なトラウマを抱えて生きているため、自己防衛機能が作動した結果、繊細な人が多いという事がわかった。

ではHSPとの違いは、何なのか?精神疾患の延長線上が半数ではないかと思う。自閉症スペクトラムとの微妙な違いもあるらしい。ただ、いろんなものが複雑にからみあっているコトとトラウマが関係している事は間違いなさそうである。

 

我が娘が大学病院の精神科にお世話になっている。

こっそり?どんなことを研究しているのか調べてみると、腸脳相関。腸内フローラと色々な事が関係していることがわかってきているらしい。腸内フローラを整えることで、神経伝達物質が活性化するとか…。自閉症スペクトラムの子が腸内フローラを整えることで、状態が安定したりするらしい。

薬の処方も面白い。ビオフェルミン、お腹を温める漢方薬。安定剤を出されるより、安心だし、免疫力も高まったりで一石二鳥だと思う。皮膚は第二の脳と言われるが、腸だって第二の脳ではないか?

そして安定剤だけは避けたい。私自身も原因不明のめまいで服用したことがあるが、あまりの効果に恐怖を感じ、処分した。薬も、人も依存しすぎるのは良くない。やっぱり、最終的には自分の力で歩むことが、治癒への近道だと思う。まぁ、自閉症はまたちょっと違うのかもしれないけれど。

 

自閉症、特にグレーゾーンは周囲からの理解が難しいように思う。その分、養育者もまた精神疾患に悩むそうである。カサンドラ症候群って言うらしい。当事者にならないとわからない事ばかりである。学校側も対応するとは言うが、やはり組織なのでマニュアルにない事が起こるとパニックになってしまう。カウンセラーの方だって、知識はあるけれど対応は微妙だったりする。セラピスト的な人が関わってくるといいのにな~と思う今日この頃です。

 

4人目のわたし

人生の中で不思議なコトが起きる時がある。

モノゴコロついた頃から私の中にはに私と、正論派の私、ちょっと悪ノリする私、の3人で物事を決めていた。一般的にはこれを脳内会議というそうです。

人生の分岐点で、精神状態ギリギリだった私。(人の顔を見て会話なんてできませんでした。)そこへ冷静な方が突如現れた。3人とも( ゚Д゚)ビックリするしかない。お前はだれじゃ~。しかもずっといるではないか。しかも俯瞰的に最低限の意見しか言わない。どうしていいのかわからず友人に聞いてみたら、「あんまりそうういう事人に言わない方がいいよ」とまで言われた。ただ、3人いる方は案外多かった。

 

始めのうちは戸惑い、ビビっていたけれど、だんだんと一緒にいるうちに4人目に慣れていった。そしてこの4人目、案外イイ仕事をしてくれる。ハメをはずすことはまずない。4人で仲良く共存し始めた頃、セラピストの師匠にこの件について話を持ち掛けてみた。するとふつ~に 「あ~乖離ですね~。僕も4人います~。」とあっさり言われた。マジですか( ;∀;)そして同じ人がいた~という安堵感と、、焦り。。。乖離って…その日は脳内会議どころではなく、みんなで大盛り上がりだったので、私に『うるさーい!』と怒られた。絶好調の脳内会議ほど疲れるものはない。

 

最近は、考えることがクセになっているので4人を意識することはなくなった。いなくなったのか、常に考えているから組み込まれているのかは自分でも未だわからない。少し、サミシイ気はする。

 一般的には異常なことかもしれないが、人間が限界を超えた時なんかにこういう事が起きるらしい。起こらない方が良いのかもしれないが、起きてしまった事はどうにもならない。むしろ同じような経験をして困っている誰かの役に立てればと思う。

そして今後の課題は、乖離と多重人格の違いを調べていきたい。

挫折への挑戦

わたしの魂が西村麻聡さんに反応。

 

落ちた動画⇩

youtu.be

 

ドハマりしてしまった。

SARAはシティーハンターの曲だけど知らなかった。

このギターのSARAに何ともいえない感情を抱いてしまった。

高校生の頃、TM NETWORKが好きで懐かしい!と思い見ているうちに点々としてFENCE OF DEFENCEに行き着いた。そういえば、当時彼らのCDも持っていた。

 

私の昔の記憶が走馬灯のように蘇る。

そういえば20歳くらいの時、アコギ好きな友人が曲をつくり、私が詞を付けた。

もう一度やってみたい!

そして我が家にはインテリアのギターがある。過去にギターに挑戦したが挫折した。スタンドバイミーがギリギリアウト✖。コードチェンジがスムーズにできなかったのである。とある友人がコードだけ教えてくれ、、やっていくうちにだんだん弾けるようになると言われたのだが…。

私の脳と手は分離したまま上達なんてしなかった。

 

だけどSARAをギターで弾きたい!

もう一度チャレンジすることを決めた。

 

まずはギターのメンテナンスから。ペグの色がくすんで小さな錆が…本当ギターに申し訳ない。

ネットでメンテナンス方法をいろいろ調べていき、椿油で代用。(自己責任)とりあえず、めっちゃきれいになった~。弦の張替えはYouTubeを何本か見て、いちばん簡単そうなものを。割とスムーズにできた。次はチューニング。今はスマホのアプリでできるのね( ゚Д゚) 

さて問題はここから。どうせやるなら続けられるよう、基本からいきたい。

ここでまたYouTubeのお世話になる。

これならいけそうと思った方の動画を参考に。少しづつやっているところです。

今はYouTubeでいろいろなことを映像で、しかも無料で教えてくれるなんて本当にありがたい。人それぞれだから、自分に合うやり方を探せばいい。

 

もちろん、コードチェンジでつまずいております。あとDコードも微妙です💦だけどゆっくり、のんびり時間をかけていこうと思います。

ただひとつだけ心配な事が…。

指が痛くて。そして指の皮が固くなったら、私の手の感覚はどうなってしまうのか。施術に影響してくるので、ビビっています。柔らかい方が、繊細な感覚になる。マリックさん、赤ちゃんの手みたいに柔らかいって言うじゃないですか。

人生の中で挫折が多い私。そしてあきらめも早い私。

いずれ自己表現として何とか形になっていくといいな~と思いながら地味に取り組んでいきたいと思っております。