かまじいのブログ

INFP-Tの綴る言葉の世界

コンパッション

2年前からガンの患者会に参加している。きっかけは叔母が膵臓がんに罹患したのをきっかけに、オンコロジータッチというものを勉強した。残念ながら叔母は他界してしまった。せっかくなので役に立たせたいと思い、ネットで調べて参加している。

 

始めて参加した時自己紹介をした。すると数か月後に開催するサロンで、講師として話をしてほしいと持ち掛けられた。ありがたい話である。しかし無償ボランティア。かろうじて昼食だけは出るとの事。複雑な気持ちだった。オンコロジータッチ、ヨガのT/T、セラピスト講習代は結構な値段がする。私の周りは逆に講習費をもらっている人ばかりだ。

サロンも、交通費や駐車場代がかかる。始めのうちは行きたくないと思いながら参加していた。無理矢理参加していたのには理由がある。奉仕というキーワードが私の中にあった。もう一つ、ロバートフルフォードの ”いのちの輝き” の中に、人生の1/10を創造主に返しなさいという言葉が出てくる。タイジングといって寄付や奉仕をすることで自分に返ってくるということ。

やりたくないけど、やらないといけない気がして無理矢理参加していた。

寄付でも良かったが、収入の少ない私はケチった。その代わりに私が出来ること、それがサロンへの参加だった。

 

中学生の頃、高校進学の内申書の為にボランティア活動というものをやっていた。私は内申書のためのボランティアなんて意味がないと思い参加しなかった。

親友が福祉系の短大に進学予定だった。実際の現場の見学も兼ねてボランティア活動に参加していた。そこで内申書目的の人達は邪魔だと言っていたのを思い出す。結局うわべだけの参加なので本気で向きあっている人からすればお荷物でしかない。

三者からするとお前も同じじゃんか!とお叱りを受けそうだ…。

 

そして続けてきて思う事。主催者の方は本当に素晴らしいと思う。完全ボランティアなのに患者さんの為に一生懸命やっている。こういう方は利益ではなく、何を目指しているのだろうか?寄付というものはお金があればできるけれどボランティアは…。

きっと、何も望んでなんかいないんだと思う。無償の愛、コンパッションとはこの事だと思った。ただ何もせずに寄り添う事。以前師匠に言われた。寄り添いは相手の為にもなるけれど、何より自分の為になる。と今やっとその意味がわかってきた。続けなければわからない事が沢山ある。やってみなければわからない事もある。

嫌ならやらなければいいかもしれない。楽しい事、好きなコトをやればいい。風の時代は軽く…。なんて言うけれど私はそうは思わない。本質がわからなければ勘違いのまま時代は進んでいく。その結果、文明は発達したが人は大切なものを忘れてしまった。自分だけがいい。とか…。結局考えさせないように洗脳されてきたのだと思う。

 

他人の為に見返りを求めず、行動するコト。これを実行していけば、生きるのが楽になるような気がする。

何かしてほしいとか、してもらいたいとか、、、そんなことはどうでもいい。

ただ、何も考えずに行動するコト。

出来る限りサロンへの参加は続けていこうと思う。