かまじいのブログ

INFP-Tの綴る言葉の世界

あるがまま

ここ最近、気候の変動が激しい。

身体も気候に馴染むのが精一杯。ココロはちょっと疲弊気味。

仕事も忙しかったのが少し落ち着き、身体を休める一方でココロは焦っている。忙しいと目の前のことをこなすのに一生懸命で考え事すらする余裕がなくなる。それが余裕が出てくると、、、。自分の癖でもあるが、焦りだして自律神経が不安定になる。わたしの場合、頭に気が昇りやすいのでそんな時は頭から地面に向かって呼吸をする。今まではとにかくそんな自分と闘って、どうしていいのかわからず藻搔いていたが、この1年くらいでこの周期が短くなってきていることもあり、対処方法も試行錯誤ではあるが何とかやり過ごせるようになってきたので、この何とも言えない不快な気持ちを少しづつ見つめられるのではないかと思い、内観しつつ、客観的に向き合っていこうかと思う次第です。無意識のうちに癖になっているのはわかってきたので、分析をして何処からこの感情はやってきているのか????

 

歩く瞑想ができるようになってはじめてゆっくり歩かないと気づけないということに気づき、そのゆっくりが、自分の思っているよりももっとゆっくりだったことにも気づき、、、。わかった気にならないということ。このことによって、”今”の意味がようやくわかってきた。

先日SNSで記事のシェアについての投稿があった。無料で自分の知識を投稿しているのだが、シェアをする際に無断でするのはどうか?ということだった。まあ、確かにそうかもしれないが、わたしは違う点に着目してしまった。そもそもこの情報化社会の中でどの情報が正しいのかさえわからない。本当に正しい情報だとしても受け手側の理解度によっては間違った解釈になりえるのでは、、、。とそうなると発信者の意図は全く伝わらないまま間違った情報になりえる。

人間って感情や癖があるから、相手の意図を読むことをしない限りその人が何を言いたいのかなんてわからない気がする。想像力とはこのコト。こうだと決めつけるのではなく、、、。現代はルールが出来すぎているので他人の感情なんてわからない人が多い気がする。養老先生の言う、ああすればこうなる。枠の中に入れなければ社会不適合者。みんな疑問に思うって事がないんだろうな。

わたしは疑問しかなかったから、みんながフツーにしてることもできなかった。

でもそのお陰で、こうやって自分と向き合うことができています。

自分とは何か?そもそも自分なんてないんじゃないか?と思う今日この頃。

考えすぎて自分なんてどうでもよくなるのかもしれない。