かまじいのブログ

INFP-Tの綴る言葉の世界

ブッダから学ぶ

ティク・ナット・ハンの入滅をきっかけにブッダの本を読み返したりした。

以前は普通に読み過ごしていたことが、今は違う解釈になったり、深く意味を捉えられたりしてオモシロイなと思った。雲水の修行にもこういう意味があったんだ!と発見と気づきの連続で、本当に禅って素晴らしいなと思った。そして私の師匠が禅を好きな意味がわかった。

 

最近のわたし、感情に振り回され、月経周期も相まって、過食傾向。寝る前に食べたくなる。無理せず食べる。何か理由があるはず…。なんと、過食症の一種かもしれない。夕飯はきちんととっているのにお腹が一杯にならないという事は、要するに神経がいかれているということ。高校生の頃だった。過食と拒食を経験した。しかしよく考えてみると断食や一日一食をやってみたり、気が済むまで食べてみたり、、、同じことなのかもしれない。そして私のココロは満たされない(;´Д`)自律神経がおかしいのはずっと。緊張状態があることは自覚しています。となるとやはりこれはトラウマが関係していると思われる。

満たされない何か。食べ物を食べて満たそうとしているが満たされないことはわかっております。物質でも満たされないことも、、、、。そこで座禅。軟蘇の法。すると息のしづらさはわかっていたが、どこが詰まっているかがわかった。胸ではなく、あばら、みぞおちのあたり。しばらく呼吸を続けていると、鼻が通ってきて、呼吸が深くなったことに気づく。

 

ある意味、過食は苦行と同じではないか?と思った。だいたい数日後、胃腸の調子が悪くなるか、面白い事に月経周期も相まって痔になることも多い。自傷行為と同じである。やり場のない怒りや悲しみをどこに向けるかであって、私の場合、自分の内側に向けている。それが食べ過ぎるという行為であって、、、。抑えられない衝動、、、。ある意味”欲”である。何とか状況を把握し、過食という事を理解した上で食べるようになった。食べても満たされないけれど、食べる。ただ、何でも口にできればいいというのではなく、先日は胃に優しい鍋焼きうどんをほおばりました。そしてその後、座禅。だったら食うな!と突っ込まれそうですが、、、。満腹中枢がいかれていると、お腹がいっぱいなのに食べられるという事は、身体と心が別々だからなせる業。連動させることも、バラバラに動かすことも出来る。面白く、興味深い。

何でもそうだけれど、いきなり治るものではない。ゆっくり少しづつ治していく。だから軟蘇の法を毎日寝る前に続ける。やっていくうちに自分の中で何かが変化していくのをただ感じる。微細なものにも気づけるようになる。人間って意識しないと忘れてしまう。いろいろな事が当たり前になってしまう。そして何だかよくわからないことになっていく。自己変容とは自我が小さくなっていく事だと。

お金や物質ではなく、心が豊かでありたい。