かまじいのブログ

INFP-Tの綴る言葉の世界

違和感

以前私はスピリチュアル好きだった。

が何となく違和感を抱えたまま過ごしてきた。そんな中、真のスピリチュアル、秘教というものに出会い、納得。本当のスピリチュアルとは。一般的なスピリチュアルとはかけ離れていると言ってもいい。アリスベイリーという方がジュワルクール大師の言葉を下ろして執筆したというが、これまた何を言っているのかさっぱり分からない。真理というものは言葉を鵜呑みすることほど危険なことはないと思う。自分の中で熟考し、実践し、また熟考の繰り返し。誰も答えなんて教えてくれなければ正解なのかも教えてはくれない。だから常に自分と向き合い、自分に問いかける。本当にそれでいいのか?めちゃくちゃ地味な学問である。1年間の講座で途中、自分はわかっているのか分かっていないのかさっぱり解らなくなった。先生に相談すると、わからないまま続けて下さいと言われ、目が点になった。苦痛だった。内容が頭に入ってこないのでメモをとることもままならない。そしてついに諦めた。解ろうとするのをやめようと。一緒に受講した秘教の先輩に、私も通ってきた道だから大丈夫、毎回ココに来て座っていればいいから。と言われた。そうするとあら不思議。秘教の講義はわからなくてもセラピストの講義を受けた時、ストンと腑に落ちるではないか。これはこういうことかもしれないと。とりあえず、ただの情報として入れておくと他の何かがきっかけになって結びつくではないか(゚д゚)!

 

風の時代は個の時代と言うけれど、好き勝手にやるのは違うと思う。先ずは自分と言うけれど…。私は違和感しかない。人間は哺乳類なので本能的に社会性というものを無視しては生きられない運命だという。”先ずは自分”の意味の解釈の仕方。恐らく、自分の事を理解するコト。感覚を大切にと言うがその根底にあるものを理解できていないと道を誤る。感情ではなく、感覚。そしてこの感覚は自分の身体と深く影響しあっている。いわゆる体調といわれるもので感覚も変わってきてしまう。”自分のコト=身体”先ずは自分の意味はここだと思う。

何故身体なのか?わたしたち人間は自然です。自然は同じものは存在しない。リンゴも色、味、大きさ微妙に違います。人間だと容姿、声、誰が見ても変わらない現実。養老先生はこれが個性だと言っています。無理をすると疲れが溜まり風邪をひきやすくなり、体調を崩しがちになります。でも人によってどこまで無理ができるのかは違います。無理を続けると、病気になったり、最終的には突然死という結末も…。寿命がきたら死ぬことが自然であるとすれば、身体を調節する機能がわたしたちには備わっています。これを無視するのではなく理解したうえで活用するという事。疲れたら休むとか、暴飲暴食をするようなストレスは避けるとか。わたしが環境に合わせるのではなく、わたし自身の身体に合わせていく事。これが自分を大切にすることで、”まずは自分”の本当の意味だと思います。これをしていく事で世の中も変容すると言われている。働き方、環境問題、金融。現代はお金中心の世の中。お金が必要だから働くというのは本来の人間のいのちを考えた時にはちょっと待って…生存していくには栄養が必要なわけで、これを購入という形ではなく自分で栽培する。働くという意味を根本から考え直す必要があると思います。お金の為に働く、のではなく生きるために働く。現代人の生きるという事からいろいろなものを究極までそぎ落としていって生存するためにはどうしたらいいのか?栄養を摂る。文明が発達したことによって生物本来の形が失われています。生きることではなく、そのほかの事に、重きが置かれてしまって。欲しいものを購入するために。とか、、、自分を見ていてもたまに世の中とのバランスをとるのは難しいな~と思いながら生きています。

自分自身に余裕が持てることで人に優しくできる世の中になる。そのためには先ず自分の居心地の良い状態を見つけること。無理をしない事。もしかしたらシンギュラリティはとっくに過ぎていることかもしれない。0と1でつくられた世界は規則があるけれど、日本人にはそれ以外の曖昧な感覚があるから、、、。