かまじいのブログ

INFP-Tの綴る言葉の世界

苦しみから産まれるもの

気がつけば6時間。穏やかに時間は過ぎていった。帰る途中、苦しくて仕方なかった。この苦しみは何だろう?

服飾系専門学生の時代に遡る。洋服のデザインが思い浮かばずスランプに陥る。

もがき苦しむ日が続いた。苦しみの果てに産まれた作品は今でも捨てられずにいる。そう、この時の苦しさと同じだった。症状が解ると少し落ち着いた。

とある人に会うと緊張したり、身構えたり、思い出したり、いつもは意識しない自分が見えてしまう。何かが起こる。私の中で化学反応が起きてどうしていいのかわからなくなったり…普段は絶対湧いてこない感情が出てくる。だけど今回ようやく自分と向き合う事ができたのかも。そして、冷静に対面している時の自分の分析がその場でできた。そうすることで自分の癖や、傾向、いろいろな気づきが生まれる。

まだ身構えている自分がいる。遠慮している自分がいる。どう接していいのかわからない自分がいる。ここからまた自分なりに分析を進める。なぜそうなるのか?少し時間が経つと微細なものが見えてくる。余波のように広がっていく余韻のようなもの。

産みの苦しみの理由…新しい自分を再構築していく事の難しさ。本当の意味でもう一度自分の人生を作っていく。ここからは自分の力で行きなさい。と言われているような。見守られながら突き放される的な。関わり方がわ変わっていくのかもしれない。1周回って反省会的な事が知らない間に繰り返されていたのかもしれない。原点に戻る。そしてもう1周してみようかな?的な。きっと見えなかったものが見えてきたり、新たな世界を見ることができるのかもしれない。味わい深い、言葉では言い表せない世界が…。

 

 自分でも気づかないうちに一般的には進まない方向に進んできた。高校生の時、どうして自ら底の方に落ちていくの?と友人に言われたことがある。上に進むと下に落ちるのが怖かった。ならばいちばんどん底まで行けば後は上がるだけ。それ以上底はない。という考えだった。苦しみを無意識のうちに選択していたように思う。

苦悩は人を強くする。心理学者や哲学者は苦悩に満ちた人が多い。苦しまないと人は成長しないらしい=発達しないという事。私は自分でも知らないうちに選択していた。二十歳くらいの時、誕生日が同じ彼がいた。若いながら結婚を決めていた。だけど最後の最後で自分から身を引いてしまった。本当に文句のつけどころのないような人だった。この人と一緒にいたら私はダメになってしまうのではないか?怖くなってしまった。優しすぎる彼、私よりもっといい人がいるのでは…彼と別れた後、彼のお母さんから一度会ってほしいと連絡があり、おかしな彼女ができて困っていると相談されたが、その後の状況は知る由もない。

 私はその後、出会った人と結婚し、いろいろな苦悩を経て離婚へ至った。訳の分からない苦悩のお陰で今の私がいる。今は適度な距離のお陰で円満な関係である。

 

どちらの道に行くのかは自分で選択できる。良いも、悪いもない。もちろん育った環境とか、トラウマ的なものはあると思う。だけどトラウマがあるからこそ強く生きれたり、トラウマという経験があるからこそ人は成長するのではないだろうか?

トラウマのない人なんていない。それをどう生かすか。

 

良いこと、楽しいこと、陽の部分が良いとされているけれど、失敗とか挫折とか、陰的な部分の方が本当の意味で人間を成長させてくれると私は思う。より良い世の中にしていくにはどうしたら良いか?、本当に豊かな人生とは何なのか?これからいろいろな意味での本質が問われる時代になるのでは。

 

マイナスは悪いこと あの時言っていた言葉の意味がようやく理解できた…。ここまで来るのに3年かかったかな。

マイノリティの人生はは孤独な旅です。だけど決して1人ではない。たくさんの経験と智慧は肉体を離れても決して消えることはない。