かまじいのブログ

INFP-Tの綴る言葉の世界

どん底まで行ったらもっと掘れ!

自分の哲学思考は何にも役には立たないが、自分自身にとって収穫があった。

考え事が行き詰った時。どん底まで行ったら後は上がるだけ。ではなくもっと掘れ。その意味が何となくわかってきた。考えに行き詰った時、答えが出るその時をじっと待つのも手だが、もう一回原点に戻って同じことを考え直す。というのも悪いものではない。今回知らない間にやっていて紙に書くという作業をしていたら気がついたら腑に落ちたというよりも新しい発見があった。

 

私は正直、子供があまり好きではない。

嫌いな理由が分かった。マイブームの養老先生のYouTube。子供は自然と同じ。思うようにならない。そして娘は型にはまれない、どう接したら良いのか分からないタイプ。

世の中は人工物に囲まれている。つまり想定内の中で生きているという事。すべてにおいて意味や理由がある。作り込まれた社会の中で生きていると安心、安全でそれが当たり前になる。ところが自然はいつ何が起こるか分からない。予測不能なモノ。

子供は自分の人生を左右しまくる。私が思ったようには生きれない。コントロールしようとしてもできないし、扱い方が分からない。そして私は困惑する。更に途方に暮れる。イライラする。そして自分が知らないうちに社会の型にはまっていたかという事を思い知る。

でも私は自然が好きだ。癒される。という事はもしかしたら子供にも癒されるのか⁉強いていえば人間には感情というものがあるが、植物にはナイ。

という事は...言語が厄介なのかもしれない。感覚を言語化してしまうとその時点で違うものに変化する。感覚が違うものに変わっていく。言葉は呪いという意味が理解できる。そもそも人によって解釈の仕方なんて変わってくるし、伝えたい人の本当の意味なんて読み取る人はほとんどいないだろう。意識しないと無意識のうちに意識の使い方が洗脳されていく。思い込みだったり、考え方のクセだったり。だから意識してやるという事が大切になってくる。イコール俯瞰して物事を見るという事にも繋がってくる。これができないと何も変わらない。先ずは何でも状態を知る、いわゆる気づきというものが重要になってくる。そしてその状態になったら、またやっているという事に気づく。それを繰り返していくうちにパターンが見えてきたりする。そうするとその状態になろうとするとちょっと待て、と行動にもストップがかかる。そして行動パターンや思考パターンが変えられる。だから感覚というよりも自分と向き合うという事になる。誠に地味な作業である。