先日歯磨きの後にフロスでメンテナンスをしていたら
ぬゎんと歯が欠けた。
衝撃すぎて言葉にならん。
かけた歯を片手に歯医者へ。
虫歯もあったようで麻酔をかけられ、、、、、。
歯を削られるよりも麻酔が怖いわたし。
今はだいぶやり方が変わったみたいだけど、
いきなり言われて、パニックになりそうになるが、
そこは何とか落ち着いて息を吐きながら力まないように自分を誘導する。
これも乖離のなせる業かもしれない。
久しぶりの麻酔は今まででいちばん痛くなかった。
けど、麻酔が抜けるまでに結構な時間を要した。
まぁ、いつも歯医者の麻酔関係はあまり良い思い出がない。
血は止まりにくいし、麻酔が効きすぎて、、、。というコトが。
そんな中、わたしは自分の感覚麻痺を麻酔の麻痺と重なった。
あ~こんな感じなんだって。
脳内麻薬が勝手に放出されて、身体と心を麻痺させて感じなくなる。
そして麻酔がきれていく時、何とも言えない曖昧な感じになる。
正直、気持ち悪い。
奥の方は麻酔が効いていて、少しづつ現実感があるような。
おんなじ場所なのにバラバラな感じみたいな。
まさに乖離みたい。
そして麻酔の聞いている感じが、
内圧がかかっているみたいな、むくんでいるみたいな、
まさにyieldのセッションを受けた時の手のしびれたような感覚と同じ感じがした。
麻酔が抜け切れていない状態で食事をしたが、これまた気持ち悪い。
うまく咀嚼できないし、
動きがぎこちないからどこか力んでいる感じ。
自分の一部だけどそこだけ違うものみたいな何とも言えない感じ。
乖離って実は無意識で起きていることらしい。
わたしはたまたま自覚があって、症状が酷かっただけ。
でもなかなか理解できないようなことだけど、こんな感じでマジョリティの人たちに
感覚として理解してもらうというコトはとても大切なことだと思う。
精神疾患って目に見えるものでもないから、難しいなって思う。
理解されにくいし、答えがあるものでもない。
そう考えるとやっぱり 存在として受け入れる というのは
とても大きな意味を持つんだろうな。
存在と存在って言われてきたけどその意味が少しだけわかった気がする。
何かをするわけでもなく、ただそこにいるというコト。
情報が多すぎるこのご時世。
何かをすることが良いとされてきた。
でも本当はそうではない。
何かをしないとか引き算こそが必要なことだと思う。
何かを選ぶことも大切かもしれないけれど、
何もしないという選択肢もあるというコト。
セッションでも同じことが言える。
触れなくてもただそこにいる。
それだけでなにかは起きている。
それが何を意味するのか?
調和と受容の精神ってやつかもしれない。
ちなみにこのような事態になったのは恐らく食いしばりが原因のよう。
寝ている時、やはりかなり力んでいる模様。
カタスレニアという夜中に唸るという事態もおきているらしい。
というコトでマウスピースを導入することになりました。
前歯もだいぶきている模様。
セッションを受けて緩和されることを願おう。
思っているよりも身体はダメージを受けている、、、、。