かまじいのブログ

INFP-Tの綴る言葉の世界

最近、一緒にいて楽しいと感じる人がいない。

そんな時、インテグラル理論の本を引っ張り出してみる。

以前より理解できるではないか!!!

今なら読めそうな気がする。

 

いろいろ頭の中で考えていたことが突然、腑におちまくることがある。残念なことに全ての内容を覚えている訳ではないが、、、。

ある時から、瞑想することをやめた。自分の瞑想目的があまりにも不純だったから。瞑想したら何かが変わると思っていた。そんなに人生甘くはない。

その代わり、瞑想に近い事をすることはある。師匠に教わった軟蘇の法。自分を落ち着かせるため、リセットしたい時に少しだけ。というよりも長い間できないという理由もある。

ヨガもそうだけど、ある日突然できていたアーサナがとれなくなる時がある。わたしは以前これに苦しんだ。数ヶ月、ダメだったな。今こうやって考えてみると、一旦できるとそれが当たり前になってしまう。できなくなることで不安になったり、焦ったり、、、。ココロとカラダのバランスが崩れるコトによって生じる。でもそれが何かの気づきになって、変わっていく事ができるきっかけだったりする。

渦中にいる時は苦しくて仕方がない。何とかしようとする。

だけど、やめてみるということをすると、できないという苦しみはなくなる。

 

”発達とは幸福を保証するものではない”

”発達とは報酬を求めてするモノではなく、やむにやまれず起きてしまうもの”

インテグラル理論の本の中に出てくる好きな一節。

ようやく言っている意味がわかってきました。

禅の世界でも禅問答をしすぎたが故に、精神的におかしくなってしまうということがあるそうです。それを軟蘇の法で落ち着かせていくそうです。

空の世界。無いということではなく、在るということが前提。わたしも始めの頃は何を言っているのか皆無だったのが、少しづつ理解できるようになってきました。

人生の中でも応用できる。何かをしようとするのではなく、必要な事は必然的に起こる。だから自分でやろうとしなくても、その時が来るのを待つ。だけどこれまた現代人の苦手なコト。のんびり構えて待つ。ということができない。何でも早く出来た方がいいというバイアス。でもじっくりやった方が身につくんだよね。だから基礎が身についていない人は見る人が見たら一発でわかる。映えるは典型的な例だな。見た目が良ければ、、、。一生懸命やっているけれど、やっていることで満足したり、ごまかしたり…

この点についてはわたしは反省点しかない。学生の頃、課題の提出はいつも一番だった。だけど先生に言われたことがある。苦手な立体裁断の授業。ゆっくりやればできるのに、時間にせかされると焦ってできないタイプ。微妙なまま提出したら、やればできるんだから、ゆっくり落ち着いてやりなさい。これは今でも少し苦手である。じっくり取り組むということ。幼少期、早く、早く。と言われたこともあるかもしれない。だけどこの呪い、知らないうちに娘にも言っている。最近のわたしの子育て。一切口出ししない様にする。話すとイライラする時は、会話しない。関わることでアイデンティティは失われていくのではないか?そもそもこれから形成されていくのだけれど、、、。親がしっかりしないからとか言われたが、わたしはそうは思わない。自分がそうであったから尚更。親と子供は関係ない。わたしはわたし。幼い頃から、何でだろう?がクセだったんだな。

 

そしてわたしの気づき。話をしていて話が通じなかったりするのは何故だろう?と思う。どうしてもわたしが判断基準になってしまうが、決してそうではないのだということ。現代人は考えるということ、疑問を持つということをしないそうだ。わたしは疑問しかないけれど、通常は何で疑問に思うのか?らしい。だから話は通じない。仕方ない。わからない人の方が多いのだから。だけど、わからせようとするのも違うし、わたしをわかってもらうことも違う。大切なのは そうなんだ 。と受け入れるコト。肯定でも否定でもなく。だけど感情や歪んだ認知、バイアスの副産物でそう簡単にはいかないのだけれど。バイアスだらけの世界。恐らく、大多数の人はこいつは何を言っている?となるが真理を追究していくと大転換が起きてしまう。これも空の世界。

 

不思議なコトに気づいてしまったら、孤独が生じる。共有できる人がいないから精神疾患を患う人が出てくるそうです。確かに孤独だけど、大多数の人に合わせるよりもひとり、真理の探究をすることの方がオモシロイ。やっと孤独を楽しめるようになってきました。わたしの場合は、リアルで同じような人に出会えたからかもしれません。自分だけじゃない、という安心感、心強さ。先陣を行く人はもっと孤独だと思うけれど、もう孤独とか関係ないんだろうなと。でもそういう人がいるお陰でわたしはこうやって道を歩いて行ける。わたしも続く人達に同じようなコトをできればいいなと思う次第です。