かまじいのブログ

INFP-Tの綴る言葉の世界

積読コレクション

久しぶりに本をまとめて購入した。

鷲田清一さんの本3冊、安富歩さんの編訳本2冊。

安富さんの編訳本は以前から目星をつけていたもの。”超訳論語 革命の言葉”と”老子 あるがままに生きる” 老子の方はパラパラ目を通したが、今まで言われてきたことの意味が何となく分かったり、般若心経に繋がるものを感じた。革命の言葉は何となく開くのが怖い。何故…。私の奥底に眠るトラウマが拒否反応を示しているのか?受け入れがたい何かがあるんだろうな~と思っています。

鷲田さん、と言えば哲学。やっぱりスキなんです。考えることが。やめられません。役に立たないと言われても、精神的に滅入っても、、、。本質的には生きる智慧があると思っています。考え抜いていかないと分からない考察。モノの見方。仮説を立てながらの自分との闘い。哲学は役に立たないと言われているようですが、本質的な事に介入するので世の中的には都合が悪いんだと思います。

情報過多のこの時代、何が正しいのか正直わからない。そんな時、とりあえずいろいろな情報を全部インプットするのがいいとか💦そのうちにわかってくるらしい…。現段階では私には未だわかりませんが、もしかしたらこの哲学的思考が役に立ってくるのではないかと…。仮説と検証。私の経験からだと、どんなことでも何故?と思うことが大切だと思われます。例えば、いじめだったら加害者と被害者がいて。どうしていじめたのか?どうしていじめられたのか?この手の話はいつの間にか犯人探しをしています。そんな時、ちょっと待て何か違うんじゃないか?って。何で?が誰が?にすり変わっている事に気づくと思うんです。何でも目的があって、そこから外れるとややこしくなっていく。話が分からない人がいるとそれはもう疲れちゃいますよね…。

少年院の話。一般的には加害者だけど、半数くらいはある意味、被害者だったりするようです。家庭内暴力性的虐待、、、、、これもほとんど知られていない事実だと思います。特に性的虐待は想像を絶するものだと思います。犯罪を犯してしまった罪は償わないといけないけれど、その後ろにある背景は理解しないといけない。そうしないと世の中は変わらない。当事者でないと、痛みはわからないのかもしれないけれど…。そっと寄り添える世の中になることを祈ります。