かまじいのブログ

INFP-Tの綴る言葉の世界

愛するとは自分を追い越すことだ

 

学生時代大好きだった人に言われたコトバ。

 

何年か前ふとこの言葉を思い出し、検索するとオスカーワイルドという人物の名言だという事が分かった。本人が作ったコトバだと思い込んでいた。

20年もの年月をかけて再び私の元に届いた。今なら何となく判る気がする。言いたかったこと、伝えたかったこと。彼の事を考えると胸が痛い。幼かった私。いろいろごめんなさい。

 

何にも考えずに追いかけていたけれど、知らず知らず哲学的な人に惹かれていたんだなと…。そして、きっと彼も人一倍苦悩していたのだと思う。一方当時の私は、感情全開で生きている、良く言えば人間らしい生き方だった。だとすれば彼に与えていた影響は少なからずあるだろう。今の私は何も考えずに行動できる人に憧れるから。

 

かなわない恋だったけれど、今思い返せば実は大切にされていたのかもしれない。本当の愛って何だろう。自分のモノになってしまった時点で気持ちは下がっていく。でも手に入らないものでも…。時間が経てば忘れるか、飽きてしまう…。

 

生活に追われ忘れてはいたけれどきっかけがあって思い出す、という事はやは人生の中で意味のある事だと思う。恐らく彼もまた何か事あるごとに私という存在を思い出しているかもしれない。(そうであってほしいという願い)お互いに何かしら影響を与え合い生きる糧になっていれば幸いである。

 

あの時 ”愛してる” の意味を模索しても全然答えなんて見つからなかった。今やっといろいろな経験を経て”愛してる”の意味が分かった気がする。

所有するモノではなく、共有するモノ。

愛の力で自分の能力を超える何かが起きる。という解釈の仕方が多かった。うん、なるほど~と。

私の考えは、自分が中心で自分を取り巻く何かが変化している、それを私が俯瞰している、。自分の横を通り過ぎて行くと思っていても、もしかしたら私がそれを追い越していくのかもしれない。

モノを見る方向性の違いで見えているものは全く違ってしまう。だからこの自分を追い越すって本当は相手に優しく寄り添えることなんじゃないかな?自分を追い越すこと…目に見えるものではなく、目に見えない優しさこそ本当の愛なのではないだろうか?

 

彼からの永遠の宿題。答え合わせしてみたいな…。