かまじいのブログ

INFP-Tの綴る言葉の世界

死について考える

幼い頃から“死”は身近なものだった。

物質的には恵まれていたけれど精神的には微妙な環境。自分さえいなければ…。台所の包丁を見て誰か刺してくれないかな?とか我慢できなくなったら自殺しようと考えていた。未だに生きているのは、ビビりだからである。

高校生の頃完全”自殺マニュアル”が世の中をザワつかせた。もちろん即購入。仲の良かった先生が貸してくれというので渡したら、一向に返ってこなかった。やりかねない…という事だったが当時のわたしとしたらおこずかいでせっかく買ったのに~。だったら買い取ってくれという気持ちだった。

 死の記憶で一番悲しかったことがある。やっとの思いで飼ったリクガメが死んだ時。本当にショックだった。共にした時間は3ヶ月程だったが、本当に悲しくて1週間程泣いていた記憶がある。

 昨年、叔母が亡くなった。すい臓がんステージ4で発覚してからあっという間に逝ってしまった。セラピストの立場で関わらせてもらったが、悲しいというよりもお疲れ様でした。という気持ちと安堵感だった。叔母のガン発覚をきっかけにオンコロジータッチというものを学んだ。そしてリアルタイムで練習台になってもらったので、感謝の気持ちしかない。

 生まれたからには必ず死ぬ。順番もクソもない。なのに年寄りから死んでいくもの、的な考え方が大半を占めている。それがかえって苦しみを生んでいるのではないだろうか?私たちの身体は細胞の塊である。そしてその細胞たちは役割を終えたら死ぬ。死は当たり前のもの。生きている限り逃れられないものであり、平等に与えられた権利だと思う。命の大切さばかりうたっても説得力はない。だったら死につて考えたほうがよっぽど効率的だ。

死って何だろう。いろいろと考えを馳せる事で人生が豊かになっていく。

わたしがそうであるように…。